Distance of love 2
4
重たい気分のまま家へと帰り着いたリョーマは着替える気力すら失い、ベッドに横たわったまま天井を見つめていた。
一緒に過ごす時間が増えていく中、胸のどこかで大きくなっていったその思い。
だからこそあんな夢を見たのだろうし、だからこそ意識して不二を避けてすらいた。
でも少し間をおけば、また今までのように彼と接することができる、そう思っていた。
けれど、久しぶりに二人きりになり、彼に抱きつかれ、あまつさえ夢で見たのと同じ台詞を言われてしまい、頭が真っ白になってしまって。
でもそんな自分の事情なんて不二にはわかるはずもないだろう。
不二には自分の行動が彼を傷つけた連中と同じようなものに映ったのではないか、リョーマの胸にそんな苦い思いがこみ上げる。
もう一度深いため息をつき寝返りをうてば、視界に入った窓が潤むように濡れているのに気づいた。
・・・雨か・・・
部室から出る時、何やら雲行きが怪しかったがついに降り出したのか、とぼんやりと頭の端で思う。
・・・あの人、雨に降られなかったかな・・・
急な雨だから傘を持っていただろうか。ちゃんと帰れただろうか。
そんな脈絡もない考えが浮かんでは消える。
・・・会いたい。
ふとそう思った。
こんな状況でどんな顔をして彼に会えばいいのかわからなかったけれど。でも、考えることは彼のことばかりで、息が詰まりそうなくらいに苦しくて。
「・・・っ!」
・・・と、どこからか聞きなれたメロディが流れてくるのに耳を澄ましたリョーマは、次の瞬間はっとして上半身を起こし、せわしく首を巡らせる。
部屋の片隅に投げ出したバッグに慌てて駆け寄り、中に入れたままの携帯を取り出せば、思ったとおり液晶画面には不二の名前が浮かんでいて。
しかし、通話ボタンを押そうとしたリョーマの指がふっと止まった。
・・・たぶん彼はさっきの自分の行動を問いただすために電話をしてきたのだろう。
それに対して自分はなんと答えたらいいんだろうか。
いや、そんな事を飛び越して自分を拒絶する旨の電話だったらどうしようか・・・
次々と頭に兆す思いに、らしくなく躊躇しているうちに電話はコールから留守番電話へと切り替わる。
“越前・・・不二だけど・・・”
高い接続音の後、聞こえてきた声に鼓動が一気に跳ね上がるのがわかる。
“さっきは・・・その・・・ごめん”
・・・先輩・・・
受話器越しだからだろうか、その声はどこか元気がないように思え、リョーマは眉をひそめる。
“・・・電話では上手く言えないと思って、会いにいったんだけど留守みたいだから。”
・・・え・・・?
会いに行った・・・って先輩が?どこに??思いがけない不二の言葉に混乱しつつ、リョーマは今度は慌てたように通話ボタンを押した。
「もしもし!」
“・・・越前・・・?”
「あんた今どこにいるんすか!?」
不意に切り替わった電話に驚きの声を上げる不二にリョーマは急き込むように尋ねる。
“・・・君の・・・家の前だよ。”
「え!?」
その言葉に慌てて部屋の窓を開け、外を見れば、傘も差さず携帯片手に佇んでいる不二がすぐ真下からこちらを見上げてきて。
「先輩!」
リョーマは慌てて部屋を飛び出すと階段を駆け下り、表へと飛び出した。
「越前・・・」
駆け寄る自分を驚いたように見ている不二の髪はすっかり濡れて毛先から雫を落としており、制服は色を濃くしていて。
おそらく彼はずいぶん長い事こうしていたのだろう。
「あんた、どうして・・・?」
「さっきチャイムを鳴らしたんだけど誰も出てこないから、君が帰るまで待とうと思って。・・・だけど雨が降ってきたし、君はまだ帰ってこないのかと思って心配になって・・・」
「・・・あ・・・」
今、家には誰もおらず、自分はといえば早々に部屋に篭もり、階下の音になど全く注意を払っていなかったので、不二の来訪には全く気づかなかった。
そんな自分の不注意さに内心で舌打ちしながらリョーマは不二へと手を伸ばす。
「とにかく入って。このままじゃあんた風邪引く。」
自分の掴んだ不二の手は想像通り冷たく、とてもこのままにはしておけない、とリョーマは彼の手を引く。
「でも・・・」
「いいから、ほら。」
「・・・うん・・・」
「オレの部屋は2階。あがっててよ。」
不二を家へと招き入れると彼にそう言い置いて、取るものもとりあえず洗面所へと向かう。
タオルを物色し、思い立って何か着替えになるものはないか、と探しかけたが、不二は自分よりも大きい事に気づき、舌打ちする。
それならば、と大降りのバスタオルを手にし、取って返した玄関には不二の姿はなく、自分の言葉通り部屋に向かってくれたのだな、と思ったところで、リョーマは不二を自分の部屋に上げたのは初めてだったことに気づいた。
慌てて階段を上ると廊下には不二の姿はなく、自分の部屋のドアが開いていた。
どうやら先ほど表へ飛び出して行った時に開けたままにしておいたらしい。部屋を覗けば、
こちらに背を向け、不二が立っていた。
「お邪魔してるよ。」
リョーマの気配を察したのか、不二が振り向き、小さく頭を下げる。
不意の事ではあったが、雑然としたままの部屋に不二を通してしまったことが少々決まり悪い。
でも彼がいるだけでそんな部屋が不意に華やいだような雰囲気になった事に驚きつつ、リョーマは彼にタオルを差し出した。
「とりあえず、これ。」
「・・・ありがとう。」
不二はリョーマからタオルを受け取ると、濡れた髪をぬぐい始めた
「制服、かけていい?」
傍らのイスを目で差され、どうぞ、と応えれば、不二は制服のボタンを外し、ゆっくりとそれを脱ぎ始める。
・・・あ・・・
重々しい黒の下から一転して目にしみるような白のシャツが現れる。
その襟元から覗く首筋と白い肌にリョーマは先ほどまで直面していた悩みを思い出し、慌てて不二から目を背けた。
「・・・なんか、飲みますか?」
「え?」
「お茶でも入れますよ。」
そんな事、したこともなかったが、不二から離れるにはいい口実だ、そう思い、部屋から出ようとしたが、不意に腕を掴まれる。
「待って。」
「・・・え・・・」
「・・・お茶はいらないよ。」
「・・・そうすか。」
思いついた最良の策をあえなく不二に奪われて、リョーマは小さくため息をつき、俯いた。
「・・・すみません。」
「・・・え・・・」
「こんな目にあわせて。」
タオルを握る不二の指先を視界に映し、ああ、この人はこんなところまで綺麗なんだ、と頭の片隅で思いつつ、リョーマは自分から話を切り出した。
「こんなになるまで待ってるなんて、結構大事な話なんすね?」
「・・・え・・・」
「言ってたじゃないですか。電話で上手く言えない話だって。」
「え、ああ、うん、そうだね。」
いつになく歯切れの悪い不二の応えに、リョーマの胸がちくり、と痛む。
「・・・オレは何言われても受け止めます。でもひとつだけわかってほしいんです。」
大きく息を吸い込んで、吐き出した後、リョーマはゆっくりと言葉を紡ぎだした。
「あんたがどう思っているかわからないけれど、オレ、本当にあんたを・・・好きなんです。」
「・・・越前・・・?」
「あんたの傍にいて、テニスして、話して、それで十分楽しい。その気持ちは今でも変わらない。けど・・・」
・・・知らなかった、自分がこんなにも臆病だったなんて。
欲しいものは強引にでも自分のものにしてきたのに。もしくは執着なんかしなかったのに。一番格好よくありたいものの前でなんて自分は無様なのだろうか・・・とリョーマは情けなくなる。
「もっとあんたと近くなりたい。あんたにもっと触れたい、そう思ってしまった。・・・あんたを・・・抱きたいって。」
「・・・あ・・・」
自分のその言葉に不二が息を呑むのがわかり、少しでも楽になるかと吐き出した真実が、醜い事実として胸に跳ね返ってきたのに、リョーマは苦く笑う。
「さっきはごめん。オレ、思ってたより余裕がなかったみたいで、つい・・」
「・・・越前・・・」
「でも、だからってあんたが嫌がる事するつもりはないから安心して。」
部屋で二人きりの状況でこんな告白をして不二がどう思うだろうか、と遅ればせながら気にかかり、同時にこれ以上自分が変な気を起こさないようにとストッパーをかける意味でもそう口にすれば、不二は軽く目を見張り、そしてちょっと笑った。
「君は優しいね。」
「言ったでしょ、オレ,あんたが本当に好きなんだ、って。」
「・・・え・・・」
「セックスなんてお互いの気持ちが通じ合ってなきゃ何の意味も価値もない。・・・あんたもそれはよくわかってるはずだよね?」
「・・・越前・・・」
「オレはあんただから抱きたい、あんただから欲しい。あんたの気持ちごと。・・・だから待つよ。あんたがその気になってくれるまでね。」
「・・・越前・・・」
聞きようによってはこれほど気障な台詞もないが、それをさらり、と言ってのけるリョーマを不二は眩しそうな瞳で見つめる。
「・・・君が僕を本当に大切に思ってくれている事はわかってるよ。」
そんな彼に気押されて、不二も胸に秘めていたものをさらけ出そうと口を開く。
「でも僕は男で、君も知っての通り・・・綺麗な身上でもない。」
目を見張って自分をまっすぐに見つめてくるリョーマの視線が苦しくて、不二は俯き、眉を寄せる。
「君はこれからいい人にたくさん出会うだろう。そしたらきっと後悔する。僕にそんな気持ちを抱いたことを。」
「・・・先輩・・・」
「僕も君が・・・好きなんだよ。本当に大切に思ってる。だから・・・僕は・・・君を守りたい、君が僕を守ってくれたように。」
これまでの事、そしてこれからのリョーマを思う気持ち、そして自分の本当の思い、それに対するためらい、色々な思いが頭をよぎり、胸が痛んで声が詰まる。
その痛みに、自分はこんなにもこの少年を好きなのか、と改めて感じて。
「・・・今なら大丈夫だから。」
「・・・もう遅いよ。」
と、不意に気配を近くに感じ、顔を上げればすぐ傍にまでリョーマが来ていて。
その瞳の強さに反射的に後じされば、踏み込む後ろがなく、足をとられるような形で不二はベッドへと腰を落とす。
「今ここであんたを手放したら、それこそずっと後悔する。」
肩に手をかけられ、いつもとは逆にリョーマに見下ろされ、不二は軽く息を呑む。
「あんたは自分の存在が、自分の行動がオレの障害になると言うけれど、オレは自分の気持ちくらい自分で責任取れる。あんたにかばってもらわなくても。」
「・・・越前・・・」
「言い過ぎたなら謝ります。でも、オレを好きだといってくれるのなら、本当にオレを思ってくれるって言うんなら、あんたの全てをオレに下さい。」
「・・・あ・・・」
「あんたが、好きなんです・・・」
自分をまっすぐに見つめそう告白するリョーマに、あえなく理性が崩れ去っていくのを感じ、不二はゆっくりと瞳を閉じる。
「・・・いい?」
耳元でそう囁かれ、ためらいながらも頷けば、きつく体を抱きしめられて。
“・・・越前・・・”
顎に指をかけられ、上向かされて重ねられた唇の温もりと優しさに不二は泣きたいような気持ちにかられる。
同時に自分もいつの間にか引き返せないところまできてしまったのだ、と自らも小さな恋人の背中に手を回しながらそう思っていた。